Norimasa Ono 2004 monster energy pipeline pro Norimasa Ono 2004 monster energy pipeline pro 大野仙雅 今回紹介する、オオノノリマサ君(通称ノリ)は、1981年2月16日生まれ、 オオノマサトシ(通称マー)の双子のお兄ちゃんだ。 二人は、伊豆/多々戸ビーチでサーフィンを育み、やがて、 日本そして世界のサーフィン界で、大野ブラ、大野ツイン、として脚光を浴びる、 レッドホットサーファーへと巣立って行った。 特に、レギュラーフッターのノリは、コンテストレザルトの栄光もさることながら、 マーとは違ったイケイケモードで、ぶっ飛びエアーから、ビッグウエイブへの クレージーアタックで、その名を早くして轟かせて行ったと言えよう。 そんな大野ブラを初めてバリ取材に連れた行ったのが、まだ彼等が15~16歳だったと思う。 今とは違い、当時の15~16歳はまだまだ子供で、ウルワツやパダン等の リーフブレイクなんか未知の世界だったはずだ。 しかし、ノリもマーも、まったく臆すること無く、 ウルやパダンで素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれた。 中でも、ロータイドパダンでのチューブセッションでは、ノリのスピードに乗った ハイラインバレル、マーのフロントならではの、波を読み切ったルースしたスタイルに、 この二人のフューチャーを感じてやまなかった。 そして、 いよいよ彼等もWQS戦を回りだした年、ウエスタンオーストラリアの マーガレットリバーででも、一緒になることがあった。 試合後もマーガに残って、あの大自然の大海原でフォトセッションを繰り広げられたことは、 俺の数あるトリップの中でも忘れられないものの一つとなった。 その後も、日本を代表するヤングアップカマーとして、メンタワイ、タヒチ、 ツアモツ等にもシューティングツアーに行き、必ず二人のどちらかが、 カバーをものにするようになっていった。 やがて、二人はマジで世界を目指すため、拠点をハワイに移し、 プロのスポーツトレーナーの元で、トレーニング、食事、 メンタル強化のメニューを続けて行った。 この頃、ハワイには居たが、実はあまりノースショアにはショウアップせず、 パイプ/バックドアでのプルービングがほぼなかったと思える。 各国の試合に行っても、なかなか成果を挙げることも容易ではなかった。 当然、結果を出さなければ、何してるんだ!甘いんだよ!と批難の声も多くなる。 きっと、若い二人には、きつい時期だったと思う。 それでも、回りは、この二人しか世界の壁をぶちやぶれないこともわかっていた。 だから期待が重くのしかかってしまうのだろう。 しかし、魅せるとこは見せてくれた。 2004年のモンスターエナジープロで、ノリはエピックパイプコンディションの中、 なんとクォーターファイナルにまで勝ち上がったのだ。 元々、ノリのバックドアでのブチ切れ度は、ナンバーワン級で、 行くと行ったら、何でも行っちゃう、板が短かろうが、ドダンパーだろうが、彼は行く。 そんな定評を持つ、ノリだけに、バックドアのみならず、ピッキピキのパイプにも、 迷いの無いグラブレールでハードなプルインを連発していった。 余談のおもしろ話として、こんなエピソードもあった。 いつもの様にノリは、誰ともつるまず、パイプのステップ下に自分の場所を作り、 板も、荷物もそこに置いてあった。そして朝のヒートに出、いきなり板を折ってしまった。 普通そういったケースに備えて、誰かにボードキャディを頼んでおくのが普通なんだが、 ノリは、ここまで黙々と一人でヒートをこなしてきていた。 沖から怒濤のカレントの中を泳ぐノリを見て、ロックダンスチームメイトである、 シンペイは、こうしちゃいられないとばかりに、ノリのスペアボードをグラブし、 トランクスに履き替える間も惜しんで、パンツ(サルマタ)のままパドルを開始した。 しかし、一発目のドルフィンスルーをしたら、シンペイのパンツが、尻からずり落ち、 それを片手で戻しながら、、、を繰り返し、ようやくノリの手元に板を届けた美談?がある。 そうして、ノリは、日本人としては、パイプの試合で、 初のクォーターファイナル進出を果たした。 この年の、この試合は、実に素晴らしいコンディションが続き、 俺はノリのヒートは全て水中に入った。 それだけ、燃えた、勝って欲しかった、 願わくばファイナルに残ってもらいたかった、、、、 しかし、またこれで、日本人でも勝てるんだ! ノリに続けというムードが盛り上がったことも事実だった。 素晴らしい夢と期待を、 ノリは、パイプラインという大舞台で、身を持って証明してくれたんだ。 ノリが、そしてマーが世界へ、という空気の中、、、 オーストラリアのデュランバーでフリーサーフしてたノリが、 足の靭帯を伸ばしてしまうアクシデントに見舞われた。 (この時、俺はケンタと水中セッションをしていた) その怪我によって、ノリは一年以上のリハビリを強いられ、 戦線離脱しなければならなくなり、日本の、世界のコンペシーンからノリの姿が消えた。 物凄い上り調子だったノリだっただけに、本人もショックだろうが、 回りもいたたまれなかっただろう。 一旦、伊豆に戻り、療養生活に入ったノリ、、、 ややブランクはあるものの、今はすっかり元気を取り戻し、 コンペ活動はしてないが、フリーサーフィン、 それにシェイプも手掛けているという。 コンペティターには誰にでも栄光の時がある。 あの、モンスターエナジーパイププロで、魅せつけたノリの執念ともいうべき パイプでのバックハンドアタックは、日本のサーフシーンの栄光でもあり、 今も俺の脳裏、そしてこのポジフィルムにしっかりと焼き付いている。 Norimasa Ono 2004 monster energy pipeline pro 昨年、2010年6月、伊豆/入田浜にて、久々、ノリと再会〜〜〜
レジェンダリーライド
大野仙雅( NORIMASA OHNO )
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