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これからの日本人に必要なことのすべて

第16回:日本式恋愛術は激烈なるべし

 
 
 
さて、あなたは恋愛なるものをいかばかり経験されておられますか。
このような問いに対して、さらりとお答えになる方はかなりの御仁とお見受け致します。
 
 
まことに、恋愛というものは苦しいものでございます。
あるときは天にも昇り、またあるときは地獄へ突き落とされる。
 
 
 
ああ、それなのに、人は恋愛というものから離れることができずにもがく、わめく、泣く。
その様は、人間という動物の如き。いや、動物の持ってしまった悲しい性。
しかし、恋愛こそが人間を人間らしくしている唯一のこと。
そう思ってしまうほど、恋愛は人間であります。
 
 
しかし近頃の恋愛を見ていると、何やら左脳的なゲームのように思えて仕方がありません。
同じように感じられている方は、きっといらっしゃるに違いありません。
そう思われる方は、きっと激烈なる恋愛のひとつやふたつは経験されているのでありましょう。
 
恋愛は、結婚相手を探すことでもなく、都合のいい相手を選ぶことでもありません。
ひと言でいえば、人間が人間であることを思い知る瞬間です。
 
それは、感情の嵐の中に身をおくこと。
予定調和では決してなく、あらかじめ予期されたことでもなく、突然舞い降りる。
そうなってしまったら、抗うこともできず、脳の中にはじめて侵入した異物の如きものなのです。
神様のそばに近づく感覚、と言っても差し支えないでしょう。
 
そういう、あらかじめギフトされた能力を人間は持ち合わせているのです。
それを使わずに一生を終えるのは何と勿体ないことか。
 
 
しかし、
現代日本人の多くは、そんな恋愛は映画や小説の中でのことと、半ば諦めているような風情です。
ゲームでもビデオでも、アミューズメントなら事欠かないし、バーチャルなら相手は自分の思うまま。
何が起こるか予測のつかない恋愛は、嫌だし面倒臭い。
 
傷つくことを避けて通ることに慣れてしまった現代人は、身体性を失い、
小さな左脳内での生活に満足しているように見えてしまいます。
オッと、言い過ぎてしまいましたかな。
 
しかし、そうなってしまうと単に消費左脳社会のひとりの消費員で終わってしまいかねません。
 
 
それでは、何ともつまらない。
 
 
 
 
 
ここは一番、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、激烈なる恋愛に突進してまいりましょう。
 
ならば、どうやって?
 
 
 
実は、日本という国は、恋愛サンプルの宝庫であります。
おなじみ源氏物語は、言うに及ばず。
在原業平とか紀貫之とかが書いたと言われる伊勢物語は、恋文の練習帳。
男女の文のやりとりは、恋の心理ゲームです。
 
また、江戸時代の春画は性の大胆さを学ぶ、誇張されたリアリティ。
恋愛物は数え上げたらきりがありません。いや、日本は色っぽい国ですな。
 
そういう文章や春画はちょっと、という方にお勧めなのが、
溝口健二監督の映画「近松物語」。黒澤明、小津安二郎の先をゆく、昭和の巨匠です。
 
雨月物語が最も有名な作品ですが、日本人の恋愛術という点では、この作品が図抜けています。
まるで、舞台上で人形浄瑠璃が演じられているような錯覚に陥る。線で描いたようなセットが、
長谷川一夫演じる手代と、香川京子演じるお家さまの感情をあぶり出す。そこに、三味線、
笛、太鼓の下座音楽が感情を揺さぶる。一瞬も目が離せなくなるような映画です。
 
 
舞台は、京の大矜恃(大企業の社長)の後妻である香川京子と長谷川一夫の道ならぬ恋愛。
想いを寄せてはいけない人に恋してしまった長谷川一夫は、そのことをおくびにも出さない。
しかし、ある事件をきっかけにふたりは、駆け落ちしてしまう羽目に。
そこで、はじめて恋愛の真実を知ったお家さま。
社会の封建的な衣を脱ぎ捨てていくお家さまと、想いのタガがほどけちってしまった手代。
その恋愛は、激烈を極めます。この時代、不倫は両者は、引きまわし、はりつけの刑。
家は取り潰し。その頑強な壁を壊すほどの恋愛。まことに凄まじい感情であります。
 
 
そこにあるのは、恋愛以外のことは、すべて取るに足らないもの。
恋愛という感情が身体を動かす。これこそが人間の持っている根源力でした。
間違いなく、あちら側と繋がっているとしか思えません。
 
 
 
宗教においても、空海の将来した理趣教においては、
性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義解釈がある。
性行為を肯定し、悟りを見るというのです。
 
理趣経は、本来男性と女性の陰陽があってはじめて物事が成る、と説いていますから
結構まじめな教義だったのでしょう。いまの我々から見ると、ちょっと馬鹿げているように
思われるかもしれませんが、それだけ、男女のことは生きる上で、とても重要なことだったのです。
 
 
「近松物語」のお家さまと手代の道ならぬ恋愛は、引きまわし、
はりつけで終わりますが、馬上で縛られたふたりの表情は幸せそのもの。
この結末こそ、溝口監督の結論だったのでしょう。
 
恋愛は、凄まじい日本人そのもの。
 
その恋愛を避けて通るとしたら、
それは人間のギフトされた宝物を使わずに生きることです。
 
 
それでも、あなたは激烈なる恋愛を知らずに日本人をやり続けますか?
 
 

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外国人が突然あなたに質問するとします。“日本人とは何ですか?”
 
何と答えるでありましょうか。なかなか、やっかいな問いに違いありますまい。
 
生真面目、几帳面、融通性なし、臆病、閉鎖的、無表情、おとなしい。
また、礼儀正しい、親切、気遣いのできる、絆を大事にする、
優しいという答えもあるでしょう。
 
 
 
 
 
こんな質問にはどう答えるでしょうか?“日本人の得意なことは何ですか?”
 
多分、返答に詰まるでしょうな。いまの日本人らしく。
 
絞り出すように答えるとしたら。
言われたことはちゃんとこなす、人と同じことはできる、
細かい作業ができる、真似がうまい。いいような悪いような、複雑な答えですな。
 
 
 
 
 
では、こういう質問には?“日本が海外に誇れるものは、どんなことですか?”
 
トヨタ、ソニー、イチロー、ここで沈黙。多くは工業製品か海外で活躍するスポーツ選手。
一息ついて、そうそうアニメに漫画。それから、えーっと名前は忘れたけどノーベル賞の先生?
青色ダイオードを発見した学者。伝統工芸品とかもそうかなあ、と自信なさげではありますまいか。
 
 
 
 
ここで間違いなく返ってくるのが、歌舞伎や能は違うんですか、という問い。
 
残念ながら、多くの日本人はそれらを見たことさえない。
自国の文化に誇りをもつ外国人にとっては、とても意外に映るらしい。
私も外資系時代に、ほぼ100%の確率でこの質問を受けました。
かなり恥ずかしい思いをしましたな。
 
では、なぜいまの日本人は、伝統芸能を見ないのでしょうか?
多くの日本人は、小学校や中学校で、能や狂言などの伝統芸能を見せられているはず。
もちろん、遙か記憶の彼方でしょうが。
 
 
難しい、言葉がわからない、年配の見るもの、テンポがかったるい、
などという言い訳をよく耳にしますが、本当の理由は「自分には何の役にも立たない」と
無意識で思っていることでしょうな。だから、わざわざ見る時間をとらない。
 
いかがですか?
 
 
 
 
 
 
 
 
一方、スマホとなれば月々のお金が少々かかっても飛びつく。
 
みんなが持っているものを自分が持たないことへの不安感。
 
そして、何よりも「便利さ」という毒薬に抵抗しきれない現代人。
 
電車内の光景や、街を歩く人の態度が一変しましたから。
 
 
 
 
 
 
しかし、便利さを追いかけていっても得られるものは何でしょうか。
 
所詮時間の短縮?格好良さ?
かえって、道具に縛られて多くの時間を浪費しているように
思えるのは年寄りの僻みですかな。
 
スマートに時間をこなしているようですが、本質的な人間力向上にはなんら役立つことはない。
それどころか、依存しすぎてものを覚えない、時間を守らないなどの現象が起きているのでは
ありますまいか。かく言う、私もその魔物にやられることもあるのですが。
 
 
 
 
では、伝統芸能はいったい何の役に立つのか。
お応えしましょう、いたってシンプルです。
「日本人が日本人としての思考法を体得すること」、これに尽きます。
しかも、身体を通してそれを知る。
 
 
元々、日本の芸能は神様の前で演じる、神様とつながる行為でした。
天の岩屋に籠もってしまったアマテラスを出すために、踊ったアメノウズメ。
その姿は、二つの乳房をかき出しての狂ったようなダンス。
裸同然の光景は、前衛芸術を連想させてしまいます。
つまり芸能は、自分の身体というインターフェースを利用した
コミュニケーションそのものだったのであります。
 
相撲も謡いも曲芸もそうですし、刀をもって踊る神楽もまた。
日本人の身体は、思考と一体となっていた証でしょう。
 
それは、多分に文字を持たない民族だったせいなのではありますまいか。
口承や踊ることの中に、伝えるべきことを無意識の思考と重ね合わせていたのでしょう。
 
 
激しく踊っているうちにトランス状態になった経験のある方もいらっしゃるでしょう。
また、ランナーズハイのように呼吸が異常化すると、これもまた仮死状態となって
意識が向こうとつながる感覚になる。
 
これこそが、神様との一種の交信でありましょう。
ちっとも妖しげなことではありません。
いまの左脳社会が忘れているに過ぎませんから。
 
 
この独特の思考法は、漢字が輸入されてからも生き残りました。
それを芸能の中に正しく取り入れたのが、能の始祖観阿弥・世阿弥。
日本に入ってきた猿楽の中に、その思考法を忍び込ませることに成功したのです。
 
 
 
能というと静かで眠くなるというイメージがあります。
全くその通りで否定はいたしません。
 
それは、心の中の世界を舞台上に表現しているから。
つまり観客は、幽霊の思いを見ているのです。
 
当然、脳はあちらの世界へ誘われている。
眠る=仮死ですから、眠っても怒られはしませんからご心配なく。
 
動きも閑かなのですが、そこに感情が凝縮されている。
ときに情が激しく、怒りは矢のように。
変わらないのは、舞台の板からほとんど足を離さないこと、
ときに踏みつける以外は。その踏みつけこそ、
鎮魂であり悪霊を押さえつけることなのですが。
 
 
ほとんどの踊りは、盆踊りを含めて大地を踏みつけます。
あれこそが、つながっている証拠なのであります。
 
 
 
能のお稽古はほとんどしたことがありませんが、狂言は5年ほど。
摺り足と言って、足を板から離さずに歩く。
踏みつけるときは、大きな音で神様に聞こえるように。
 
そういうお稽古をしていると、身体が大地即ち神と一体化しているのが
感じられて不思議。茶道も武芸もみなそうらしい。
 
 
また、日本語は平板と思われていますが、これも間違い。
ほとんどが、二字目にアクセントがある。“この辺りの者でござる”は、
「の」「者の、の」を強調して発するので、話にリズムが生まれるし、
何を強調したいかも歴然。ちょっとお稽古しただけで、
いまの日本人は日本人から離れていっていることが実感できるのです。
 
悲しいことに。
 
 
 
 
 
いかがですかな?伝統芸能のお稽古。
ちなみに私の場合、腹から大きな声を出すので、
3ヶ月でウエストが3センチ縮まりました。
 
また、3時間くらい講演していても、全く喉が痛くなることもなし。
姿勢もすっきりして、現代人の猫背、フラットな言い方、声の印象の弱さ、
すべてが解消されますな。
 
まさに、役立つことばかり。意外ではありますまいか。
 
 
時代が大きく転換しようとするとき、どこへ向かえばいいかと悩むより、
私たち日本人はどこから来たのかを知ることが,その答えを教えてくれるに違いありません。
 
いざ、芸能日本人へ。
 


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暗黒の時代になればなるほど、リーダーシップ論がメディアという空中を飛び交う。

西の方でも東の方でも、怪獣が大きな声で火を噴いている毎日。

裏返せば、これほどの暗闇は、さすがの日本人も経験したことがなかった、

ということでもあります。

 

田中角栄元首相、小泉元首相、古くは平清盛、後醍醐天皇、足利義満、

織田信長、徳川家康などなど。混乱の時代には強いリーダーが出現する。

性格の違いはあっても、民衆が引きずられるような個性の持ち主でした。

 

しかし、それらの傑出したリーダーたちでさえ、時と共に民衆は見捨てていく。

あの熱狂は幻想かとしか思えないほどに。

民衆が洗脳されているのか、リーダーが踊らされているのか。

それは暗黒の綱引きのようでもあります。

 

そのリーダーたちの個性を見てみると、

非常識をものともせずに疾走するタイプか、権力の裏側で暗躍するタイプ。

よくもまあ、この対照的なリーダーの元で、日本人は生きてきたものです。

さて、いまは?言うまでもなく前者でしょうな。

とはいえ、そこまで世の中を正しく壊すリーダーかどうかはわかりませんが。

 

ここ20年くらい、特徴的なのはグローバル型リーダー。

何でもかんでも、あちらがお好きなようでトップダウンと言えばトップダウン。

異文化交流型と言えば、そうかも知れないと。

結局は、人任せで自分たちの流儀は現れてこない。

何も変わっていないというのが実情でしょう。

 

そういう風潮なので、みんなが右往左往。もの申す人が激減してしまいました。

とりあえず、主張の強い人について行けば間違いないだろう。

それも、世の中の趨勢を見ながら。なんとも情けなや、ですな。

 

では、日本には日本人らしいリーダーは生まれないのか。

暗澹たる気持ちになりかけていたときに、見た映画「究竟の地」の中に存在していました。

岩手県北上市に1300年も続いてきた伝統芸能「岩崎鬼剣舞」を仕切るリーダーたちです。

そのトップに立つ人は「庭元」と呼ばれ、数ある鬼剣舞の中でも元祖と言われる

岩崎鬼剣舞を長々と守ってきた家元のような存在。

庭元が仕切る組織は、「連中」と呼ばれる現役の踊り手、現役から退き後進の指導に当たる

「師匠」、演奏パートの「おかど」で構成されています。

 

鬼剣舞について少々。

異形の面をつけて勇壮に舞うので、エンターテイメントとしても

伝統芸能の中では特筆もの。剣と扇を自在に操りながら、

地面を踏みつけて悪霊を払う呪術的な鎮魂。

また、念仏を唱え衆生を救う信仰的な要素が共存する。

だからこそ、岩崎の地で1300年もの間守られてきたのでしょう。

 

舞は八人ひと組が基本。演目によっては、二人、四人、六人なども。

また、一人加護というソロパフォーマンスも存在します。

ストーリー性はなく、演劇より抽象的なダンスに近い。動きはきわめて激しく、

地面を踏みしめ下半身を酷使するので、40歳を超えると現役で踊り続けるのが難しい。

それで、早く引退したり、演奏の「おかど」へ移ったりするようです。

 

つまり、岩崎鬼剣舞は演者の循環が自然に行われていました。

実はこれこそがリーダーシップの原点なのです。

多くの伝統芸能には、引退がありません。

いまでは、それらの芸能は年配者で占められています。

若い世代のなり手のないことも大きな理由でしょうが、

組織の構造自体に問題があるとしか思えません。

 

そういう観点でいまの多くの企業を見てみると、全く同じであることがわかります。

年配層がリタイヤせずに、いつまでも居座っている。これでは、

若者の就職難は当然のこと。活躍する場もありません。

 

また、何の手も打とうとせず、今の若者は意欲がないなどとうそぶくのは、

社会の循環という摂理をまったく理解していないのでしょう。

この循環体質こそが、岩崎鬼剣舞を1300年もキープできた理由であることは

疑いの余地がありません。

 

 

映画の中のある師匠が語った言葉。

「踊りに正解はない。年功的に伸びていけばいい」。

つまり、若者は未熟だから駄目なのではなく、20歳には20歳の踊り。

35歳には35歳の踊りがあるということを認めているのです。

もちろん、型はあるでしょう。それを教え伝えはするけれど、

一人ひとりの踊りを温かい目で容認している。

 

ユニークなのは、頻繁な集会。年に100回を超える公演終了後に、

練習所である会館に必ず集まる。反省会ならぬ、宴会。

老若が膝をつき合わせて、今日の踊りはああでもない、こうでもないと侃々諤々。

ひとつの型を押しつけるのではなく、長い年月をかけて鬼剣舞を若者の血肉にしていくのです。

踊り手一人ひとりが、それぞれの形でそれぞれの鬼剣舞を継承していく。

この構造が、鬼剣舞の軸をぶっといものにしているのでしょう。

 

庭元は、自分の鬼剣舞の姿を見せるだけでいい。師匠も。

身体性を継承するという役目ですが、すべての世代を認めることで

それを成し遂げているのです。

これが、鬼剣舞のリーダーシップでした。地域共同体という閉ざされた社会では、

変化を恐れがち。それが、若い世代を地域から離れさせる原因にもなっています。

しかし岩崎では、地域共同体を鬼剣舞という芸能で心をひとつにすることに

成功しているのです。舞い手は、小中高学校で子どもに教える。

その子たちは、やがて次世代の舞い手に育つ。考え方が違ってもいいのです。

芸能は、古きものを大事にしながら,新しいものを取り入れていくから、生き続ける。

まさに継承という、人間の、共同体の本質を理解しているのです。

 

次の世代のことを一番先に考える。それこそが、リーダーの役割であり資質。

社会であれ、会社であれ、家庭であれ。

 

明日は、今日生きる者の責任だからです。

 

 


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EISAKU SEKIHASHI
Eisaku Sekihashi / 関橋英作
青森県八戸市生まれ。外資系広告代理店JWTでコピーライターから副社長までを歴任。 その間、ハーゲンダッツ・アイスクリーム、英会話スクールNOVA、デビアス・ダイヤモンド、ネスレ・キットカットなど多くのブランドを育て、広告賞も多数受賞。キットカットでは、受験生キャンペーンで、AME賞(アジア・マーケティング・イフェクティブ賞)グランプリを2年連続受賞するなど大成功を収めた。09年のカンヌ国際広告祭では、日本初となるメディア部門グランプリを、投函できるキットカット「キットメール」キャンペーンで受賞。 現在、クリエイティブ・コンサルタント。ブランディングをする会社MUSB(ムスブ)の代表取締役&クリエイティブ戦略家として、主として企業のブランディングを手がける。
ほかに、青森県八戸市の八戸大使就任、日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー、女子美術大学非常勤講師。企業研修、各種セミナー、講演、執筆などを行っている。日経BPオンラインにて、コラム「マーケティング・ゼロ」を執筆中。
著書に『ある日、ボスがガイジンになったら!?』-英語を習うよりコミュニケーションを学べー(阪急コミュニケーションズ)。「チームキットカットの、きっと勝つマーケティング」(ダイヤモンド社)。「ブランド再生工場」(角川SSC新書)。「マーケティングはつまらない?」(日経BP社)など多数

Twitter:@sekihashi

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