日本の波
シークレット/和歌山
2005年9月5日の伝説の波の話だ。
日本には、まだまだサーフされていないバージンブレイクや、滅多なことで覚醒しない、とっておきのシークレットスポットが数多く残されている。
ノースショア並みのラインアップを魅せる、このポイントも、余程の台風でなければ、その姿を現さない、伝説のスポットの一つだ。
タイフーンスエルにフォーカスを合わせ、四国のリーフで撮影取材していたが、台風の接近に伴い、ストーミーコンディションに入りつつあった。
ご存知の通り、四国は大きな島なので、本州との橋、フェリーが遮断されれば、アイランドスタックを余儀なくされる。
俺は、船が欠航になる前に、四国を出、和歌山に向かった。
台風は、四国と紀伊半島の間にある紀伊水道を北上し、大阪湾に入り、関西を串刺しにして、日本海に抜ける予報が出ていた。
船は風雨の強い中、大揺れに揺れて、和歌山港に着いた。
港近くを流れる、紀ノ川の橋を車で渡っていると、川の中にまで、ライダブルな腹~胸の波がブレイクしてるのが、目に飛び込んできた。
つまり、こんな所に迄波が来ているという事は、外海はそうとうでかいということだ。
当然フェリーも、俺が乗った便が最後で、欠航となってしまったほどだ。
でっかいでっかい紀伊半島には、ビーチブレイクこそ少ないが、シャープな河口ブレイクや、ワイルドなリーフブレイクが至る所に存在している。
四国の後、和歌山、大阪湾の波(?)、そして日本海へと、台風をチェイスしていこうという計画だった。
台風の更なる接近に伴い、和歌山のあらゆるリーフブレイクもクローズアウトし始め、明日は最もでかくなるザデイ、とっておきのリーフがついに炸裂するだろうと予想された。
明けて翌日、思った程の嵐にならず、小雨の中、ザスポットをチェックに行くと、、、、
信じられないラインアップをこの目にした!!
オフショア、クリーンフェイス、ノーバディアウト、8~10フィートのスエルが脈々と打ち寄せていた~~~
かなりのサーファーがチェックに来ていたが、誰も入ろうとせず、ただただ、凄まじくも、美しいパーフェクトウエイブがローリングしていくだけであった。
そんな中、突破口を開いたのが、ウエダ君(植田昌宏)だった。
いつもは、四国にいるはずのウエダ君だが、スエルの向き、台風のコースによって機敏に動き、昨日のうちには大阪に戻っていたという。
それもそのはず、ウエダ君は、このポイントのパイオニア的な存在で、年に一度、いや、数年に一度しか、その姿を見せないこのポイントを、ミスすることなく、何十年もサーフしてきたという。
写真左下で、一人ゲッティングアウトしているのが、その時のウエダ君だ。
ダイナミックなラインアップの中、しばし一人で優雅にサーフしていたが、やがて次々と地元のサーファー、ここのフリークサーファー達がパドルアウト。
四国からやってきた、ムネトヨ、ユウジロウ、マサト(ナカノ)、レキ、
南紀からは、シンペイやスミ君も登場し、
10年に一度、いや、これまでのベストオブザベストと言われた、ビッグ&パーフェクションで、素晴らしい大セッションが展開されたのだ。
小雨降りしきる中、高台からのランドショットを撮り終え、午後の2ラウンド目は、決死の水中にもトライ。
夕方にかけては、更に波のサイズ/パワーとも増し、最後はヒュージセットを喰らって、ゴロゴロの岩場に打ち上げられてしまった程だった。
忘れられない、2005年9月5日の伝説の波から、一夜明けると、ザスポットは、まだサイズは残っていたものの、昨日とは比べるべくも無かったが、眼下のラインアップには、今日もウエダ君の姿があった。
今度、いつ、また、ここでサーフできるのかを想い、噛みしめ、心待ちにしている、ピュアなサーファーの姿が、台風一過のキラキラとした海に、輝いて見えた、、、、
Masahiro Ueda @ Wakayama 2005.9.5