@ Punta De Lobos Chile 1998
世界の波
プンタ.デ.ロボス/チリ
ビール一辺倒の俺だが、怪我以降、やや体調(腹?)を意識し、ワインを飲む様になった。
もっとも赤を飲むと、あっという間に意識が飛んじゃうので、白をチビチビ程度だが、、、
そして、ワインと言えば、俺の中ではチリのイメージが大きい。
余り知られていないが、チリは世界屈指のワインの名産国。
と、偉そうに知ったかぶりをしたが、実はチリに行ってから判ったのだ。
なので、チリ滞在中はやたら、ワインを飲み、おみやげも、チリワインを箱詰めにして持ち帰った程だ。
1998年、すでに一度チリを訪れていたタイゾウ(ハラダ)の案内で、
ウッシー(ウシコシ)、トモ(ヨシオカ)、マッチ(カミジョウ)達と、チリツアーを敢行した。
マッチ以外は全員ロス集合で、ランチリエアーで一気にサンチャゴに飛んだ。
マッチは当時、ハワイでたった一日、勘違いでオーバーステイしてしまい、
暫くアメリカに入国できなかったため、なんと、日本~スペイン~チリ、という経由でやってきた。
同日の朝、先に着いた俺達は、マッチが無事チリに到着するかどうか不安だったが、
なんと、マッチは、クラークフォームのダンボール箱に板をパッキンして登場した~~~
確かに今の様にボードケースが普及している時代ではなく、
ハワイからビッグガンを持ち帰るサーファーは、こうしてダンボール箱に入れて持って帰ったが、
これから5人で、レンタカー一台で、それはないでしょう~~~、、、???
、、、ってな調子で、旅がスタートした。
まずは、サンチャゴからノースチリに飛び、アリカ/イキケエリアを取材し、
かなりの波をスコアし(サーフデイズ/世界の波、の記事参照)、
気分上々で再びサンチャゴに戻り、今度は150キロ南にある、プンタデロボスを目指した。
ノースチリのアタカマ砂漠の中にある、アリカやイキケとはまったく違う自然環境で、
砂漠から一変、森の緑が濃く、気候も南にかなり下がったので寒くなってきた。
まずは宿探し、プンタデロボスの近くに位置する、ピチレムという可愛い町のロッジにチェックイン~
この頃はとにかく、頼るコネクションもなく、
ひたすら地図を見て、現場に辿り着き、自分達で安宿を探し、スーパーで買い出し、ほぼ三食自炊して、海に通っていた。
特に初めての所はエキゾチックな気分になるね~
目指すポイントはどこだろう?
と、車を走らせていると、突如視界が広がり、眼前に輝くラインアップが見えたり、、、
道を間違えて、妙な所に入り込んだら、見ず知らずの人が優しくしてくれたり、、、
偶然入ったお店に、お気に入りのものがあったりと、、、
ピチレムに居る間は、ずっとそんな愛おしい気持ちで一杯だった。
チリトリップの第三章目(アリカ、イキケ、そしてピチレム)、いよいよ最終章に入った訳だ。
そして、ついにサーフズアップ~~
ここまでの毎日は、肩~頭の、まったりファンサイズの、プンタ.デ.ロボスのロングレフトを楽しんでいた。
が、その日は、トレードマークのビッグロックに、10フィートプラスの波がぶち当たっているではないか~~~!!!
いつものクリフに車を停め、しばしラインアップをチェックしていたが、
海が重く、大きく、力強く、左から右へと動いている。
海に飛び込んだら、あっという間に右に流され、多分出れないんじゃないか、、、
乗ってもでかいフェイスだけだし、何気に先割れしちゃうよね~、、、
で、でも、、、、でかい、、、ウウウウ~~~
暫くチェックするも、地元のサーファーさえ誰も来ないし、どっか他にいいとこあるんじゃないの?
と、勘ぐりだし、当時の俺の”虎の巻”とも言える、サーファーマガジン発行の”サーフレポート”を読み返すと、、、、
でかいスエルが入った時でしかブレイクしない、というとっておきのポイントが書かれてあった。
その名を、プエルト.シーヨ。
しかし、そのポイントには4駆の車が必要、
更に、プライベートゲートをいくつか超えなければ行けないとも書いてあった。
でも、波はコンパクトでホローするレフトハンダーだと、、、
プンタ.デ.ロボスの大味波で溺れる(?)くらいなら、行っちゃおうぜということになり、
またまた、訳のわからん道を模索しながら、プエルト.シーヨに向かった。
しかし、やっぱ途中、ビーチサンドの坂道でスタックして、どうしても登れない。
皆で押したり、板きれを下に敷いたりしながらも前へ進んだ。
でも、いまいちはっきりとした場所がわからない。
ようやく海の見えるとこに出て、双眼鏡で見渡すと、
左遥か彼方に見える岬のインサイドで波が割れているのが見え、
そこにサーファーが入っているのがかろうじて見えた。
しかし、ここからの距離で、2~3キロはあり、更に今居るとこは崖の上、、、
こんなとこに車や荷物も置いてけないし、この崖降りて、更にビーチを歩いて、、、ノーウェイ~~~
もうここまでの行程で、かなり疲れ切っていたので、流石の俺達もギブアップ、、、
またまた、サンドスタックを繰り返しながら、来た道を戻って行った。
つまり、チリに来て、一番のビゲストデイを、俺等は迷子の様にウロウロして、サーフできなかったという訳。
仕方なかったと言えば、それまでだが、どうしても、プエルト.シーヨに辿り着きたかった俺達は、再び次の日もリベンジに出掛けた。
道はもうある程度わかったので、暗い内に出発し、例の難関の坂道に取り組んだ。
でも、どうしても、どうしても、最後の山を超えられニャイ!!!!
タイゾウは何が何でもという気持ちだったが、
昨日、ノーサーフで終わらせてしまったので、俺的には今日の朝一のグラッシータイムは逃したくなかった。
なので、その日は早目に諦め、途中で見つけていた、プンタ.トポカルマのレフトに戻ることにした。
そこはそれで、見事なロケーションのポイントで、
また俺達だけのプライベートセッションをメイクすることができ、素敵なチリの思い出ともなった場所だ。
ピチレムを拠点として、
長~いレフティのプンタ.デ.ロボス、
とうとう行き着けなかったプエルト.シーヨ、
誰もいなかったプンタ.トポカルマでの思い出を胸に、
約1ヶ月に及ぶチリトリップの終焉がきた。
帰国日前日にはサンチャゴに戻り、夜は皆で日本食を食べにいった。
お寿司をほうばり、ガリを口に入れると涙が出そうになった~~~
カウンターの中で寿司を握っていたマスターが、俺等を見て、不思議そうに、
日焼けして真っ黒ですけど、南極か、山にでも登って来られたんですか??だって、、、
やっぱ、チリに波乗りに来たなんて、そうとう珍しかったんだろう、、
この1998年に初めて行った(その後行ってないが)、チリは、
俺の世界旅行の中でも、ベストトリップの一つで、
波/自然はもちろんだが、メンバー、ヴァイブレーション、タイミング、、、、
そんな全てのことが、この素晴らしい旅の流れの中にあったと言える。
@ Punta Topocalma Chile 1998
チリはビッグウエイブの宝庫。
今年、プンタ.デ.ロボスで、ビッグウエイブコンテストサーキットの、第一戦目が行われる予定だ。
ウエイティングピリオドは、今月末まで。
インビティーリストには、世界に名だたるビッグウエイバー 達の名前が、、、